2009年11月24日火曜日

わたしの自己満足・・・??

義母が入院をして20日。
仕事の帰り毎日病室に寄ってから帰宅をします。
去年入院中にお世話いただいてた方に癒しの手を感じて
タクティールなるものの研修にも行きました。
義母にはそれに似たものを
手だけの日もあれば足だけの日も、
或いは 手足共に受けていただく日もございます。

「ありがとう。気持ちよかったわぁ^^」
その一言は嬉しいです。

しかし、思うのは
義母が望んでいないのではないかという点です。
これがわたしの姉妹や親であるなら
遠慮がないから気にしないで
もっと色々試すことが可能だと思います。

クリームを塗って手や足を触っている時に
「もういいから。遅くなるから。」と何度も言われると
迷惑なのだろか・・・?? と思ってしまいます。
わたしなりに時間調整して病室に滞在しているんですけどね。

水臭いというのか
何度も言われたら 面倒に感じてしまって。

実際に義母はトイレも自分で出来るんだし
2週間ベッドに寝たきりの所為で脚の機能が衰えているのが
大変気になるだけですから
以前みたいに脚の浮腫みを和らげる為に足に触れているのではないのですけど。

脚の裏や指の股や土踏まず、
足首、かかと・・・。
使わなかった脚がちゃんと動いてくれますようにと
可動域が狭くなっていかないないようにと
そう願いながら毎日脚の曲げ伸ばしの手伝いに通っています。

入院されている今の間に
義母自身で出来る簡単なストレッチの方法を覚えてくださると
本当に良いのですが。
ストレッチのおかげでたとえ長時間歩いても
わたしは筋肉痛もこむらがえりも殆どおこしません。
膝にかかる体重から時折膝を解放してあげるだけで
身体は喜びます。

退院の日が目前に迫っている今、
義母には切実に感じていただきたい事柄です。

言葉で「大変ですね」は簡単なことです。
痛いのは本人にしか判りません、
脚のリハビリでわたし何度も泣いたから
知っています。

人の世話に甘んじたら 人生の後半は車椅子が待っています。
機能低下は瞬く間です。
因みにseineはまだ以前のようには歩けません。
一発芸並みだった正坐も
座っていられる時間こそ長くなってきていますが
あとが物凄く手間かかるので
いまはまだ なるべくなら正坐はお断りしたいものです。
無理をした脚を宥めるのに撫でたり擦ったりと
とても時間がかかるのです。

人の手を借りると時間の短縮や身体の負担が少なくて済みます、
しかし
負荷をかけないと筋肉も骨も強くなりません。
筋肉は100歳からでも鍛えられるといいますもんね!

seineはこの身体にあと60年お世話になる予定です。
心身ともに
元気で居なくてはと思います。

お母さんにちゃんと伝えられると良いのですが。
大事なコトだから。

2009年11月22日日曜日

琴線

餃子の王将にはよく夕飯を食べに行きます。
あの日は混んでいたのでカウンター席を選びました。

調理場が目の前なので作業工程がよく見えるのでした。
鍋を叩く音や油の撥ねる音、食器のぶつかる音や水の音、
オーダーを通すマイクの声、お客さんが店員さんを呼ぶ声 等々。
そして様々な匂い。

喧噪の中でわたしは
調理されてる方の動きから目を離せなくて
手元の大盛りのご飯はなかなか減りませんでした。
みな、自分の分担をこなしその作業に没頭しているかに見えながら
他の皆が何に携わっているか、誰の手が足りないか等を把握していらっしゃるようで。
なんだか 総natural high な印象を受けました。

それはいきなりでした。
ほんの束の間、
音が消えて皆さんの動きがスローモーションで見えました。
ふいに調理場を静けさが襲ったのです。
僅かな時間だったと思います。

わたしは
感情の波が押し寄せてきて箸を手にしたまま
泣いてしまいました。
皆さんが持ち場の仕事を全うして
わたしたちの許に届く食事。
残したら罰が当たると思いました。
気持ちを一緒に戴こうと思いました。

・・・感謝です。
もう一度手をあわせて 戴きますm( )mと申しました。

食事を饗する側、される側。
どちらも互いがあってこそ。

ありがたいですね^^

カウンターの隣の席のおじさまはわたしと同じものを
御注文でしたが
おじさまのあとに届いたseineの大盛りご飯を凝視されていました ^^;
お会計に立たれたそのおじさんは
ご飯を半分ほども残されていました。
わたしの食べっぷりに食欲失せたとか (ーー;)
ま、まさかね・・・。

帰宅したら
食後の珈琲もお腹がいっぱいで
欲しくありませんでした。

いつもの BF-1 http://bf-1.jp/html/point.html
を飲んでおきました♪
よしよし、これで明日も元気だぁっ^^!

2009年11月18日水曜日

20年来の付き合い

ミノルタα8700i。
永い間のわたしの一眼レフの愛機でした。
大好きな雨もへっちゃらの心強い味方でしたのに。
ついに作動不良となってしまいました。
吉野山に撮影に出掛け、機材を収納する折に三脚ごと
コンクリートに崩れ落ちてしまい
装着の広角レンズは動きを止めてしましました。
ボデイ裏側の上部、パネルが破損し
内部の部品が露わです。

ひゃあぁぁぁ・・・ (*_*;

広角レンズを望遠レンズに取り換えて試してみたら
ピントもズームも一先ず作動しますが
内部のデータ表示が訳の判らないモノになっています。
大変ですっ!

永代貸出の有難い広角レンズでしたので
兎に角早いうちにお詫びに伺わねばと思っています。

あああぁ、どうしよう・・・。

メイン機ペンタックス645Nで
サブ機にゼンザブロニカ6×6というのもなぁ。

かといってSONYデジカメのR‐1 は・・・。
凄く使いやすいからとても重宝なんですが
作品は銀塩カメラで撮りたいと思いますね!

わたしはまだ、フィルムとデジタルは同じ土俵には立てないと
思っています。


昨日のカメラ破損からまだ痛手を引きずっているseineです。

2009年11月15日日曜日

04時に待ち合わせ @@;

行って来ました!
大好きな雨の日の撮影^^

選んだのはこちらも大好きな榛原の鳥見山公園。
ネットの情報では<見頃>とありましたが
最近の画像をどなたもUPされておらずWEBで見当たらなかった為に少々迷いました。
雨に助けられるだろうと今回は鳥見山に決めました。
迷ったもうひとつの候補地、談山神社は次の機会ということで。

現地のほん手前で余りの雨脚の強さに
様子見の休憩のつもりがいつしか寝入ってしまっていました ーー;
眼を覚ましたら雨は続いていましたが空は明るく
慌てて現地へ。

だぁ~れも居なくて
霧が漂う静かな朝でした。
勾玉池の向こうに紅色が靄っています。
えへへ ♪
ありがとうございます。今年もまた伺いました(^o^)丿 と挨拶をして
撮影を始めました。
時間があっという間に過ぎてって
もう正午。
帰らなくては・・・><;

公園の手入れなさってるおじさまが
「来週はもっとアカいのが増えて一面綺麗になるよ、
またおいで^^」 と声を掛けて下さいました。

seineがここに通いだして数年になります。
春は新緑と桜が美しく
5月はつつじと霧の饗宴が素晴らしく
初夏からはとりどりの深緑が見事な公園なのです。
秋はそれはそれは赤にくれないに朱色にと 辺り一面を
染める絨毯にすっかり虜になってしまいます。

青葉のもみじの樹がまだ沢山ございましたし
ドウダンつつじも葉の紅葉している樹はまだ数えられる程しか
ございませんでした。
霧がありましたし夢中で撮影してきましたが
あともう2回は訪ねたいものです。
今回の撮影分で <まどろみから覚める頃> というタイトルを
つけた画像があります。
私のお気に入りの一枚なんですが
一緒に訪れた人に見せたら「・・・ふ~ん」ですって。
ま、感性って様々ですから^^

立ち位置によって赤の発色に違いが出ますし
太陽の陰り方でも印象が違ってきますね。

近景に青いもみじの大樹、中景に紅葉が7割位進んだつつじの樹、
遠景に落葉の真っ赤なもみじを配したものも
お気に入りです。
さて、フイルム現像が楽しみです。

<最近のその他> 
https://sites.google.com/site/zokukotodamanikki/satsuei-memo
に貼り付けてあるものは定番のポイントからですが
まさに真っ盛りだったと思います。

鳥見山公園、これからのお薦め撮影ポイントです。

2009年11月13日金曜日

迷うなぁ・・・ ^^;

明日は雨の予報。
さあ、どこの紅葉狩に行こう ^ ^*
 
今夜はふたりの誕生日祝いで家族で食事に行きました。
末妹とわたしのバースデイです。
美味しい食事と家族の笑顔。
かけがえのない者。
幸せな刻。

ふとしたことから
纒向遺跡の話となり
はじめ人間ギャートルズの記憶や
埴輪や土偶や
世界の七不思議へと
話は漂っていき・・・。

邪馬台国は大和に在ったのかも、と
seineは思っています。
箸墓は<伝:卑弥呼のお墓>だときいていました。
佐賀の吉野ケ里遺跡の発掘の際は大騒ぎでしたよね。
近畿も九州も
なにやら胡乱な話ですが
邪馬台国がどこに在ったか! が
人の懐具合に大いに関わるそうです。
纒向遺跡、是非観に行きたいものです。

ロマンはどこにあるのでしょう。
先日は水銀朱の石室を観てきました。
今日は漆の朱を観ました ^^!
わたしは死んで何をこの世に残すのでしょう・・・。

トラは死んで皮を残すといいますが、あなたは何を残しますか?
子供という血筋ですか?
家名ですか、会社ですか?

2000年も3000年も時を経て
例えば自分の骨が太陽の下に曝されるとは思いもよらないコト
なんじゃないかと。
再生の願いの籠ったミイラや信仰の対象としてなら
本人も解っての上なので
構わないと思うのですけど。
そういう意味では ここ日本が火葬の国でよかったなぁ・・・! と
seineは思っています。

子供が欲しいと真剣に考えたことはありません。
自分を発祥とする係累は無くて良い、今でもその基本姿勢は変わりません。
ただ・・・
孫は欲しいです ^^;
って
子供をすっとばして孫なんて無理なハナシなんですけどね。

明日は大好きな雨 ♫
さあ、どこに行こうかな^^

2009年11月11日水曜日

ドトール・ピント・フェライス通り

義母の病室に寄った帰り
いつも気になっていた院内のコーヒーショップに
ついに立ち寄りました ^^♪
だってね、
病院の出入口付近からは
いつだって珈琲の好い香りが漂っており
鼻をくすぐるんですもん。
県立医科大学の建物とコーヒーショップ、
そして中の椅子に腰かけているのは時にはパジャマ姿の入院患者、という
なんだか見慣れない光景を珍しく感じていました。
今日はマイペットボトルを持参しなかったこともあり
珈琲のにおいに惹かれて
ついに寄ってみた次第です。

<$BlogItemTitle$>ドトールコーヒー。
初めてのアイス豆乳ラテは少し苦くてシロップを足して戴きました。
めっちゃ満足な気分で病院を後にしました。

寛ぎの空間は貴重ですね、
病院は様々なモノが一杯です。
希望もあれば絶望もあるかも知れません。
よろこびもかなしみもあるでしょう。
だから、こんな場所は必要なんですよね^^
例えば、自分を病室(病気)から切り離せるような。

コーヒーショップで小冊子を目にし
中の創業者の鳥羽博道氏の「幸福創造業」に
とても共感しました。
こんな記事 ↓ がありましたのでご覧いただけたらと思います。
http://news.finance.yahoo.co.jp/detail/20090728-00000001-president-column

いつか御縁をと思います。
わたしの夢が具体的になってきた気がしました。

義母は
重湯からですが食事もOKになりました。

今日も幸せなseineです。
皆様にも幸福がございますように ^^!

2009年11月9日月曜日

物思う夕暮れ・・・

夕暮れ時の散策。
落ち葉を踏みしめて歩くときのあの感触と
足もとの葉の音が心地いいです。
葉の色でなら桜が好き。
モミジより一足早くに色付いて
山裾や路をグラデーション豊かに染めてくれるから。
地道でない舗装された処を散策ならば
葉の吹き寄せられた端っこを歩く♪
秋の気配を楽しむ時間はやっぱり夕暮れが良いな ^^
そろそろ肌寒くて、人恋しくて。
なんか訳もなく切なかったりして。

義母が入院したのは
わたしの誕生日の夜でした・・・。

開けられない眼でこちらを向いて
管がある為開けっ放しの口を動かして
多分、「悪いなぁ、悪いなぁ」と唇を動かしますので
判っていますから、と言ってわたしが手を握ったら
うん、うん、と義母が頷くのです。
息子である夫は堪え切れなくてポロリと
涙を落してしまいました。
それが昨日。
義母は今日やっと人工呼吸器の管が喉から
外されました。

お帰りなさい^^ お義母さん
って心の中で云いました。
心臓の悪い義父を残していかれたらどうしよう(-"-)
と本当に心配しました。
兎も角、ひと安心です。

静かな夕暮れは季節を問わず
好いものですね。
ひたすらにこころを開放してあげられます。
妹に「帰ってこぉ~い ^^/」と云われる時もあるほど
精神をほどきます。
どんな気の抜けた顔をしているのでしょうね @@;

人よりは上手く切り替えをしていると本人は
思っています。
1日のうち10分でも自分の時間を持ちなさい、
とはよく聞きますね。
そんな時間、seineはもうちっとあると思います。

義母は脚が悪いのです。
リハビリを受けていましたが痛いので
やがて通わなくなりました。
今のうちに可動域を広げておかないと
来る老後に待っているのは
車椅子生活なのです。

seineは高原骨折で2箇月余り入院し
車椅子生活も経験しました。
実家を改築の際みんなの意見で将来の介護生活を踏まえて
段差のないバリアフリー設計としました。
車椅子もOKな筈でした。
なのに、
車椅子で部屋間の移動に支障あったのには
驚きました。
ドアが若干狭いのです。
トイレも浴室もダメでした。

義父も義母も車椅子生活は本人にも家族にもかなり
難儀を強いるという点を
解っていただいた上でこれからを過ごしていただきたいと
切に思う訳です。
その場で足踏みを繰り返すだけでも
筋肉の運動になるのです。
それすら脚が挙がらないからと義母はしませんでした。
故、この入院が終わる頃が
わたしはコワイ。

毎日、義母の脚のマッサージに精を出していますが
大部屋に移ってのち
さあどう言って義母に自分から歩いてもらおうかと
思案中。
どうにも遠慮があるから
もどかしい。
自分の親ならもっと厳しく対するのだが。

この時期の夕暮れは早い。
あっという間にまっ黒け。

皆様、お身体冷やされませぬ様。
seineは囲炉裏を探しています。
夢を叶える為のアイテムのひとつです。

明日が幸せでありますように!
<$BlogItemTitle$>

2009年11月5日木曜日

「水」展終了~ おぉきに m( )m

目覚めたら04:15でした (@_@;)

合流が05時でしたのでそれはそれはアタフタと支度をして

お迎えに行きました。

雨という予報がまたも外れ、しかし、晴れとも曇りともつかない

空模様。

野迫川村に向かってseineの軽自動車がせっせと走ります。

やがて村の入り口の案内板まで来ました。

木々は丁度頃合いの染まりっぷり。

路の先を想うとほぉぺたが弛みます ^^*

電波状況が悪く合流する筈のご夫妻との連絡が付かないまま

龍神スカイラインに入りました。

漸く繋がった留守番電話のメッセージによると

夫妻はどうやら私たちより10分ばかり先を行かれている様子。

後追いを頑張りますがなんせ軽自動車。

長い坂道はシフトをローにしても よっこらしょ@@;

唸る車を励ましながら そ~らいけっ! どっこらしょ!

無事に合流した時には青空が見えていました^^

いざ、毎年のわたしの楽しみ、奥千丈林道へ。

合流地点から目的地までさぁ20㌔程ございましょうか。

龍神スカイラインの紅葉黄葉に脇目も振らず走ります。

到着した林道にはわずかにタイヤ痕がありました。

先入車があるようです。

ここは道幅はございますが落石の多い場所なので

駐停車は勿論

走行にも気をつけないとタイヤを傷つけてしまいまする。

ここだよん ↙^^ そこだよん^^↘ と

沢山のポイントに寄り道していたら あっという間に正午!

そうこうしている間に雲行きが怪しくなり、ポツリ・・・。

やった~、雨だ^^♪

喜んでいたらやがて本降り、風も強くなってきちゃって

折角のガスというのに

今度はタイムオーバーで最早コレまで (・_;)


ギャラリーカフェそんたんさんまでの帰り路の遠かったコト。

眠っているのか起きているのか

あやふやな状態で よく まあ

無事に到着したものだと思います。

助手席の人はわたしの運転に馴れていないのに加え

カーブの多い山道がかなりの負担だったようで

隣で大層ぐったり。

多分、それ故、わたしを不機嫌に至らしめた発言には

気付いていないようでした。


「水」展の搬出は15時から。

ぎりぎりに会場に入ったら作者の皆さんの多数がお揃いで

実に賑やかでした。

作者の皆さんによるミニトークがあり

わいわいがやがやしてる間に外は烈しい雨となっていました。


次のあつまってん企画は

12月の作品投影会と来年3月の写真展を予定。