2010年2月8日月曜日

無人島に上陸の巻

ラピュタが在る、ときいて行って来ました^^
その島に渡るにはこの時期、往と復で1便づつ。
そして、その友ヶ島には灯台と砲台があると知り
色んなサイトを廻って情報集めてから参りました。
10時出港。
船の蹴立てた波先に太陽の光で虹が見え^^
思わず近くのアベックに「ほら^^虹が!」と
話しかけてしまいました。

15:30の出港まで島をゆっくり探索の予定が
序盤のんびりしすぎて
第3砲台が駆け足になってしまったのが
惜しいコトです。

ここには何があるのでしょうか、
在る場所ではレリーズが何度トライしても作動せず
かなり焦りました。

部屋の奥の一箇所だけに光が射し、
それに心がとても惹かれました。
デジカメが作動不良で撮影に手間取り
他の観光客がちらほらと港を目指していくのを尻目に
煉瓦の色と部屋のアーチの形を顕すのに奮闘しておりました。

鹿を何頭も目撃しました。
椿の樹が本当に沢山あって、透かして視ると綺麗な花弁の色が
よく判りました。
ラピュタはね、
季節柄、緑の勢いが盛んでなかったので雰囲気が伝わりませんでした。
6月頃の特に雨の日ならもっと違う風景になるでしょう。

この島にはいつかまた再上陸するコトになると思います。

帰りには以前家族で訪れた ひいなの湯 から
田倉埼灯台までの間の海岸線に見える岩の色にびっくり。
勿体ないから撮影しましたが、
アレは何なのでしょうねぇ。
緑色をしていました。

友ヶ島は以前は父もよく釣りで訪ねていた場所。
たまには付き合って海に行こうかなぁ・・・^^と
父親孝行を考えました。

2010年2月6日土曜日

毎月28日なんだそう

始まりの合図は少年山伏さんでした。
わたしの大好きな場所、行者堂での護摩供です。
一時は空が真っ暗になり
天から何かが降りてくる様な朝からの雨が止み
こじんまりとした護摩堂は参拝者で一杯でした。
太鼓と鉦と読経に
堂の壁が震えるのが背中に伝わります。
眼を閉じて心地よさに甘えたいのを抑え
般若心経の諳んじられるとこだけご一緒します。
なんというダイナミック。
堂の音響でしょうか、身体が包まれる幸福感をいつも
感じます。

井桁に組まれた壇木、願い事の護摩木が燃え尽きる頃
護摩供は終了します。
炉には火が残っていますので
身体の悪い場所に煙を戴いて治癒や平癒を願います。
わたしはまずは怪我の左足。
続いて病気の右足。
そして鼻水たらたらなので鼻と喉。
頭、口と。

お堂の左に蓮池がございまして
タマゴがお供え物にありました。
龍神様の好物なのだそうです。
先だって気になるコトを尋ねに寄った折にはなかった
薄揚げがお稲荷様の前にお供えされていました。
お稲荷様の前のオモカル石にわたしが訊ねたのは
末妹のことでした。
結果はナントモ微妙でした。
重くて持ち上げられないほどに重くして下さい
と申しました。
わたしが曖昧な訊ね方をしてしまったので
オモカル石の応えは
重いけど頑張れば持てる重さの石になった気がします。
問う前に持ち上げた時よりはるかに重いから
多分 応えは「イエス」なんだと思うけど
でも持ち上げられちゃう><;
妹を想う気持ちが足りませんでした@@
言葉を間違えてごめんね。
頼りない姉だけど、

あなたの合格を信じているよ!

2010年2月2日火曜日

次のブルームーンは・・・

2028年だとも言われています。
ひと月に満月が2回ある時、その2回目の満月を「ブルームーン」と
呼ぶのだそうです。
2010年の1月は1日と30日が満月でした。
ご覧になりましたでしょか^^

seineはその夜、淡雲越しの月様を見上げました。
ブルームーンを観た者には幸せが訪れるという言い伝えがあるそうデス♪

出来たらいいなぁ・・・^^
と思っていたことは叶ってきました。
次にやりたいコトはでっかいコトです。
間違いなく今までに一番おっきな出来事になります。
基本に<幸せ>を置いたら
こんな形になるような気がします。

灯りと火と樹と緑。
人とのつながり。
楽しいコトで生きていけるなら
それって幸せですよね。
何を引き換えにしなきゃならないのかって
いうのは大変に重要ですけど
seineは大きな目標に向かって進む気全開です♪

風邪だと思っていたけど
実は花粉症の始まりだったようで・・・
モノは試し^^とシソジュース飲んだら
数分後からぴたりと鼻水が止まり、余りの見事さにびっくらこ@@
しかし効果は約8時間でした。
会議や商談やデート、そんな時の
おぉ助かりドリンクになると思います。

ぎゅっと健康 紫蘇。
是非、お試しあれ~^^

2010年1月19日火曜日

♫ 乾杯 ♪ By 長淵剛

今夜、夕食を支度していてふとラジオからの音楽に手が止まりました。
<2010年、今年、同窓会をします^^!>
って小学校の同窓生に葉書を送っているけれど
さすがに30年も経てば
外見も内面も様変わりするでしょね。

ふるさとの友は 今でも君の 心の中にいますか

最近とみに涙もろくなっちゃって、
嬉しい^^/ とか 悲しい(;_;) とか 懐かしいヽ(^o^)丿とか、
そんな言葉だけで括れないもので
胸がいっぱいになる気がします。
よく泣きます。

畳の縁で鞄を造ることが出来るときいて
ミシンを扱える中妹に鞄作成を依頼に行きました。
わたしも妹も初体験でしたから
昔は洋裁で内職をしていた母に一から教わっての
鞄造りでした。
3時間程かかって漸くそれらしいものが
仕上がりました^^

なんでわたしには母の器用さが伝わらなかったのだろう?
家庭課の時間が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
パジャマだのブラウスだのと
色んな課題があって
苛々~~~っ <`~´> 
びりびりに裂いてやろうかと思ったコトもありました。
襟が反対に付いているよ、やり直しっ
と言われた時。

若くて血の気が多かったのでしょう^^;

しかし、ミシンはしっかり習っておけばよかったなぁ。
最近はとても便利なものが発売の様ですが
それでもやっぱり基本は変わりませんものね。
子供の頃の印象ってずっと残るから
だから教育って大事なんだなっと
seineは思った次第です。
縫うコトが 楽しい^^♪ なんて思った記憶ないもの。

今日も仕上がりの形の説明をして裁断を手伝っただけです。
妹と母に有難う m( )m です。

材料費は縁布500円に内布100円で600円でしたが
さて割いてもらった時間をなにで御返ししましょう・・・ (^_^.)

今回はオレンジのラインが綺麗なヘリを使いましたが
次は黒に亀甲文様の浮き出たシックな
印象深い図柄のものを買ってこようかと
考えています。
しかし、実際に縫う作業を担ってくれるのは妹ですので
彼女の意見も伺わねば 
ねっ ^^

家族合作の素敵なバッグを一等最初にだれに
お披露目するかな。
大変だったのだもの、それをちゃんと
解ってくれる人でないと。
そして一緒に楽しんでくれる人でないと^^

今日も幸せでした♪
明日はどんな一日になるかな~。
皆様にも素敵なコトがありますように。

2010年1月16日土曜日

鬼が幸いをもたらす

という、五條市は念仏寺陀々堂の「鬼走り」に出掛けてきました。
500年も続くというこの行事が大好きで
seineはもう何年撮影に行ってるかなぁ。
二月堂のお水取りの様な松明を掲げて鬼が堂内を周るのです。
本番は21時~と遅いので仕事が終わってからでも
間に合うのが嬉しいです^^
今年は到着したのが19:30を過ぎており
これまた大好きな護摩供が始まっていてまたも破魔矢を
戴けませんでした・・・><;
柴がよく燃えて
炎が天高くあがっておりました。
なんというのかなぁ、
わたしは浄化される気がしますね。
魅入られます。
火の粉を感じたままに撮りたいと思うのですけど
やっぱり直接目にしたものが
一番美しいですね。
「鬼走り」いつも並んで場所取りを頑張っていましたが
今年は後列から脚立で撮ってみよう^^と思い
三脚に脚立を担いでやって来ました。
そうだ!俯瞰気味で護摩供は如何なものだろう^^
と脚を伸ばして辺りをうろうろしていると
オニイサンに声を掛けられました。
「そこから撮るんですか?」。
「自分は〇〇新聞の者です。早くから並んで場所取りをしているのに
こんな時間に来てそんなとこに立たれると・・・」なんとかかんとか。
わたしも昨日今日にカメラを始めた訳ではありません。
新聞社なら撮影のメインは鬼走りの筈。
わたしは折角の護摩供の山伏さんたちを撮れず
残念でした。

新聞社のオニイサンやオジサンたちは固まってたむろしており
わたしの前方に陣取っていたお兄さんも
彼らに何度か後ろに下がってくれと言われ、
最終、横並びの位置まで至った時
お兄さんは なんぼほど広角なんですか! って
嫌味とも感嘆ともとれる言葉をおっしゃっていました。
夜なので篝火はありますけど
広角の俯瞰気味だと個々の顔の判別は多分難しいし
観客を背中側から見ている訳ですから
肖像権に関してはほぼ問題なしですよね。
彼らの実際の記事の写真を見る限りは望遠ですので
あんな高い位置から超広角で何をお撮りになっていたのでしょ^^

21時。
ついに「鬼走り」が始まる時間。

seineは脚立に立って手持ち撮影で臨みました。
画角はとてもいい感じです。
鬼が三匹並んでも大丈夫^^
下方に観客の頭、鬼、鬼の頭上に少し堂の軒を入れて。
炎がぱあっと大きくなって観客がどよめきます。
鬼が決めポーズをしてくれますが
なんせ3周で終わりです。
やっぱり焦ります。
感度を変える間も惜しく息を止めて撮っていますので
鬼が移動すると、大きく息をついていました ーー;

あっという間に終~了。

来年からは脚立であの辺りから撮影に決まりです。
4人が其々の位置から撮影してましたので
4方向からの仕上がりとなります。
デカイ三脚が欲しいです、わたしの手持ち撮影は感度をあげても
なかなか大伸ばしには耐えられません・・・。

鬼が幸いを運んでくれるという「鬼走り」。
今年も善い一年になります♫

皆様にも幸多かれ~ ^^!

2010年1月13日水曜日

諦めてしまった人に

なんて言えばいいいのか判りませんでした。
お母様が脳梗塞で緊急入院。
ここ数日のいのち、と医師から告げられ
延命措置を講じないコトを
家族で意思確認されたそうです。
それから約10日。
持ち直すかも・・・との想いに
再び医師からは命あるままでの退院は無理です、と
告げられ。
「逝くのは今日か明日かと待っている状態なんです」と。
喋られないものの意識はおありで
痛いということと空腹感を手で示されるそう。
そのお母様の息が先日止まったのだそうです。
「・・・お母さん」と肩をトントンとしたらお母さまはまた
呼吸を始められたと。
「今度息をしなくなったら声をかけずに送ろう、そう思っています。」と
50代を目前にされた方はおっしゃっていました。

本当に手立てはないのでしょうか。
逝く時を待つしかないのでしょうか。
わたしなら。


先日もある80代のお母様が認知症を発症、
もう独り暮らしは無理だから
自宅には戻れませんとの連絡をいただきました。
美しい白髪に軽くパーマをあてその髪に綺麗に櫛をいれて
色白のお顔に朱の口紅がよくお似合いでした。
どんな人生を歩まれたらこんな風貌になるんだろかと
いつも見惚れていました。

素敵な年輩者が多くて
のたりのたり
生きていたらイカンなぁ・・・!と感じます。

2010年1月5日火曜日

お正月

家族揃ってこんなにのんびり過ごしたのは
何年ぶりだろう・・・。

百人一首で坊主めくり。
トランプでうすのろ。
爺抜きにぶたの尻尾。
どんな年にも欠かしたコトがないのが百人一首。
年末からトト様が体調を崩した故、今年は末妹が読み手。
わたしVS中妹の勝負では中妹の勝ちが増えています。
後半に強いわたしは前半にいかに中妹に差を開けられずに札を獲得するか。
眼を皿のようにして背伸びして俯瞰状態で臨みます。
末妹は勝負も後半になると
上の句の途中までもいかない内に札が取られてくことが
堪らないらしく
途中からやはりただの傍観者になります。
もうかれこれ30年
毎年百人一首をしてきました。
初めの10数年はわたしと母と父とで。
漸く中妹が参加可能となり、やがて末妹も仲間入り。
そうなると
母が抜けて、三姉妹三つ巴の戦い。
末妹は目の前から沢山の札を取られて悔し泣き。
こちらは爪を立てられ痛くて泣いて・・・^^;

それももう昔のハナシ。
年々、互いの札の枚数は拮抗してき
わたしは中妹に敵わない年があります。
焦るからお手付きしちゃいますしね。
迷ってる間に目の前で取られてしまう悔しさったら。

末妹はそりゃあ口惜しかろうね。
中学も高校も百人一首大会はいつも一位だった彼女が
まだ私達には相手にされないのだから。
家族での遊びとはいえ
なかなかに燃えるものです。
このままずっと続けていきたい遊びです。

皆がそれぞれに伴侶を、子供を、孫を得て
わたし達が70代、両親が90代になっても
元気に家族一緒に
百人一首で遊びたいと思います。

わたしの
家族で迎えるお正月の幸せの象徴みたいな
ものかな。


皆さまはどんなお正月をお迎えでしたかぁ^^

2010年1月2日土曜日

謹賀新年

2010年、ようこそ、わたしのもとへ^^!
皆様、今年も宜しくお願い申し上げますm( )m

行者堂での護摩焚きは実に楽しいものでした。
妹はこの初体験を興味深く思ったようで
あとから矢継ぎ早にseineを質問攻めでした。
次は2/3に護摩焚きをされるとの由。
大阪でセミナーを申し込んでいるのですが
キャンセル待ち故、
また護摩焚きを体験出来るかも知れません。

奈良は今年が平城遷都1300年祭ですが
修験道の開祖で又の名を神変大菩薩とも称される
役行者さまは平成12年(2000年)が1300年御遠忌でした。
「おんぎゃくぎゃくえんのうばそくあらんきゃそわか」
役優婆塞。
終生独身だったといわれ
御自身で彫られた観音像が残るとされています。
山伏修行で名高い大峯には現代まで続く鬼がいるといいます。
一千年をこえて鬼の末裔の皆様が今も修行者にとって欠かせない
サポート役との事。
凄いですね・・・。
そんなにも強い御縁ってあるのですね。

<$BlogItemTitle$>普段は決してお目にかかることの無い
役行者さまのお母様のお姿。
ろうそくの明かりに浮かんだ ほんのりと紅く染まった唇と
ふくよかなお身体のラインがなんと申しますか
官能的、でした ^_^;

お護摩の際、錫杖は見事な有声杖だと、その所以を実感しました。
燃え上がる炎と般若心経と錫杖の音。
こころと身体の一体感と申しましょか。
昂揚感。
余りに心地よくって2009年から2010年へと
<時間>がわたしを通過していったのに
ちゃんと眼を凝らして見つめていませんでした(-"-)

だけれど
刻は移ってく訳で。
めでたく、新年をお迎えしました^^

おいでませ2010年、ようこそ!
一年宜しくお頼み申します。

皆様に幸多からん事を。

2009年12月30日水曜日

あと27時間を切りました

明日は2009年の大晦日。

皆さまはこの1年をちゃんとお過ごしになりましたでしょうか?
seineはまた後悔をしております。
逢いたい人には逢いに行くことです。
来年は心して時間を持とうと思います。
また逢わないまま大事な人を喪いました。

御冥福を祈ります -合掌- 


来年は平城遷都1300年祭で奈良県は大賑わいの予想です。
明日の大晦日にカウントダウン行事があちこちでありますが
seineは高田市の行者堂で初護摩供を体験の予定です。

時間というものは目に見えないし
手で触られるものでもないですよね。
今日と明日、今年から来年への境目って
よく判りません。
時間というモノが今年から来年へどう渡ってゆくのか、
現在から未来へとどう繋がってゆくのか、
護摩焚きで何かを識るかも知れないな・・・って
気がしています。

あともう少し宜しくね、今年^^
待っててね、来年!

因みに
奈良県御所市の葛木御歳神社が全国の御歳神(御年神)を祭る
神社の総本社とされているそうです。

2009年12月24日木曜日

妖怪

「壁は乗り越えるものじゃなく壊すものだ」

これ、<ぬりかべ>の話ですよん^^

雪女ネタをさがしていたら見つけました。
ゲゲゲの鬼太郎でもお馴染みの
あの、ぬりかべのコトです。
http://www.sakanafish.com/jiten/gendai.htm
このサイトのこの頁、面白かったです^^

2009年12月15日火曜日

懐かしい人

時間が逆巻いてゆくのを感じました。
小学校の最後にお世話になった先生が
「酷い仕打ちをしたこともあったでしょうね、ごめんなさいね」と
頭を下げているなんて。
先生はこうも仰いました、「あの頃が一番わたしの幸せな頃でした」とも。
約30年前と今とでは
教育も、親も、子供も、家庭も、
みな在り方が変わってきているそうです。
あの時代は今も教育者の中では語り草なのだそうです。

曲目はふたつ。
ひとりぼっちの羊飼い と 昴。
毎日、毎日みぃんなで練習しました。
パート別に分かれては音を確認し合い
発声を繰り返し
腹式の練習、口の開け方や笑顔や
身体の揺らす方向や、立ち位置や。

音痴のわたしは音楽は大好きでしたが歌うのはホント苦手でした。
ソロで歌う男の子の高い綺麗な声をいつも羨ましいなと
感じていました。

発表の当日の記憶といえば
2曲が終わって盛大な拍手を受けたことと
先生のとても満足そうな笑顔と
「最高の出来栄えでした」という言葉だけです。
結果発表をわたしは覚えていません。

<$BlogItemTitle$>小学生時代、わたしはいい子ではありませんでした。
放課後の学校の教室を片っ端から黒板に色チョークで
花を描いて回ったり
授業をすっぽかしてかくれんぼしていたり
嫌いな給食のパンを変なトコに隠して見付かって叱られたり。
樹に登って叱られたり。
大喧嘩して人に噛みついた時はどえりゃあ <(`^´)> <`ヘ´> 叱られました。
多分、あの子の肩には歯形が残っていると思います・・・@@;

毎日、帰宅するのは日暮れでした。
濃い茶色だった制服のスカートは日々の洗濯に色が薄くなってしまい
生地も薄くなってしまい
妹にはあげられませんでした。
上級生や下級生ではなく同級生とばかり
遊んでいました。
一番よく遊んだ時期ですね。
川遊びも泥遊びも、ボール遊びもしました。
近くに駄菓子屋さんがなかったから
大人には内緒で
隣町まで自転車で100円玉を握りしめては
買いに行きました。

同級生の家には大概内職中のお母さんが居ました、
おじいさんやおばあさんは畑仕事でしたし
下校時間を過ぎて校庭で遊んでいても
追い出される日は年間にそうなかったように思います。

町は今より安全だったのでしょうか?

学校の前に交番があってお巡りさんとはよく話をしていた記憶があります。
時折、(怪しげな)教材を売りに来る業者が居て
面白いから被り付きで眺めては
見事に洗脳され 親に購入をねだりました。

郵便局の裏の空き地に秘密基地を造ったのも
この頃ですね。
穴を掘って家の傘のありったけで屋根を拵えて
雨が降ったらさす傘が無いと苦情がでましたが
子供の事です、懲りやしません。

段ボールでも造ったと思いますが
あまり記憶にありませんね。
昔から器用ではありませんでしたから
加工の要らない傘が便利だったのでしょう。

在校中は一杯叱られましたが
一度だけ、
それはそれはひどく叱られてずっと泣き続けていた覚えがあります。
理由も、わたしたちを怒っていた先生も忘れましたが。

小学生・中学生・高校生と其々に多感な時期と思います。
勿論、幼稚園も保育園も人格形成や性格形成への影響は大きいと思います。

学園モノのドラマって
定期的に流行るじゃないですか。

金八先生の時は中学生でしたので
まさにリアルタイムなドラマだった訳です。
15歳で妊娠・・・そういう欲望も芽生える頃??!!
情報も氾濫してますし
どれが正しいかなんて判断は体験しないと判んないでしょう?

まあ色んなモノが溢れてくる時期なんでしょうかね。

自分を受け入れてくれるというのか
自分を支えてくれるというのか
そんな人が必要な時だと思うのです。
人をどうにかしてあげられる余裕はないような気がします。

この続きはまた。

2009年12月8日火曜日

残り福

もう最後かな、もう最後かな・・・
そう思いながら機材を抱えてあちこちを訪ね歩いています。
いつの季節も好きですけど
秋は長く楽しめるから大好き♫

この時期は日の入りが早くて夕方からの撮影は忙しい。
落ち葉狙いで訪れた九品寺はおじさまが落ち葉を整理の最中でした。
まだ葉に色は残っていましたが
乾燥していてかさかさ。
落ちたばかりという今年の落ち葉の撮影は叶いませんでした。

ここは本当にいろんなアングルで撮ることが出来る場所なのです。
石仏を主体で背景にもみじ、
フクロウの背景に千体仏、
階段の横に石仏、
石畳ともみじ、
もみじと甍、
木立ともみじ、
イチョウともみじ などなど。

上の石仏さまとの構図は諦めて
下に降りてきました。
十徳園でしたか、山門をくぐって左に池が
ございます。
池の向こうに大好きな竹の林があるのです。
こじんまりとしていて
シャガの咲く季節になると竹との取り合わせが好くて
訪ねるのですが
納得のゆく構図が撮れたコトがありません・・・。
で、
今夕も様子見に寄ってみました。

ありました、在りました。
もみじが待っていてくれました。
薄暮にオレンジ色がよく似合います。
どきどきしました。
まず、竹の高さが欲しいと思いました。
脚を低くし見上げてみました。
綺麗な葉っぱとの位置関係が難しく
あ~でもないこ~でもないと
結局、わたしが選んだのは
伸びている竹が少し内側にすぼむ構図でした。
陽が落ちるとめっきり冷え込んできますし
見えにくくなって構図の確認が
出来なくなってゆきます。
それでも立ち去り難くて
もみじと竹を眺めていました。

深くなるんですねぇ。
浮きあがるといいますか。
あの瞬間が大好きです。

風がでてきましたので
枝垂れてるもみじの枝は止まりませんでした。
背景の竹が闇にまぎれそうな気配の
そんなもみじをちゃんと撮りたかったです。
鬼の住まう桜を撮りたいのと同じ気持ちです。

吸い込まれるような。
そんな作品をつくりたいと思っています。

先日は三重県でもみじの流れ舞いを撮影しました。
今日の<静>と反対です。
桜の花びらや、もみじやイチョウの葉や
水中や水面を廻るものを撮るのはなかなか大変ですね~。
風に揺れる枝や草原なんかも。
どれもみな すこぶる楽しいですけど♪

今夜は素敵な夢を視る気がします。

みなさまの明日が希望に満ちていますように。

2009年12月5日土曜日

こども目線

職場には毎日小さい子がだれかしら居ます。
最近随分と見分けがつくようになりました。

在る日の昼下がり。
ひとりの男の子がわたしの足下にまとわりついて
わたしを見上げて、訊ねました。

「誰のママ~??」

なんかね、ショックを受けたんです。
子供にしてみたら
だれそれちゃんのママ、というのが
固有のもの(見分け方)である訳で
子供を持たないわたしは呼びようがなかったのでしょうね。

「まだ誰のママでもないよぉ」、と応えたものの
妙に心に残った問いかけの一言でした。
その子は得心したようでもなく
しかし興味はもう次へと移ったようで
また違う「○○ちゃんのママ」の許で
遊んでいました。

掻爬の手術を受けた人が居ます。
体内で子供さんが死亡していたそうで
もしこのまま自然に流れないなら 掻爬の処置 だと。
流産の経験者はわたしの周りにも
沢山居ます。
わたしより若年で数人の水子が居、
流産を繰り返し何年もかかって出産をされた人がいます。

体内ではまだ人の形になっておらず
身長1㎝ほどのこの時期のおなかの赤ちゃんは胎児と呼ばずに、
胎芽(たいが)と呼ぶのだそうですね。
魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、そしてヒトへと生物進化の過程を一気にたどり、
やがて人間の赤ちゃんの姿へ。

受精卵が細胞分裂を繰り返し繰り返し
太古の姿を経て人になってくというプロセスには
今も驚きがあります。
世の中に摩訶不思議って沢山ありますけど
不思議というか
神秘とか神聖とか聖域とか、そういう様な一角ですね。

わたしは・・・
多分、血を分けた子供を持つ事はないように思います。
欲しいと感じた瞬間はあります。
掻爬の手術を受けた人は
受精の確信をした時に この子は生きられないな とも感じたと
ききました。
自然淘汰で亡くなってゆく命は沢山あるのでしょうね。
わたしの中でも
あったのかも知れません。
人が人と出逢って恋に落ちるより受精の確率のほうが低いのですよね!
一億分の一なんだそうです。

なんか凄くないですか!?

なのに案外みなさん
ぽこぽこと御産みでいらっしゃる @@
スゴイなぁ!

頭といいますか、耳の後ろの下の方が痛いのです。
どく どくというか ずきん ずきんというか。
厭な感じの痛さ。
明後日は大事な 投影会 だというのに。

皆様の明日が健康に恵まれたものでありますように。

2009年11月24日火曜日

わたしの自己満足・・・??

義母が入院をして20日。
仕事の帰り毎日病室に寄ってから帰宅をします。
去年入院中にお世話いただいてた方に癒しの手を感じて
タクティールなるものの研修にも行きました。
義母にはそれに似たものを
手だけの日もあれば足だけの日も、
或いは 手足共に受けていただく日もございます。

「ありがとう。気持ちよかったわぁ^^」
その一言は嬉しいです。

しかし、思うのは
義母が望んでいないのではないかという点です。
これがわたしの姉妹や親であるなら
遠慮がないから気にしないで
もっと色々試すことが可能だと思います。

クリームを塗って手や足を触っている時に
「もういいから。遅くなるから。」と何度も言われると
迷惑なのだろか・・・?? と思ってしまいます。
わたしなりに時間調整して病室に滞在しているんですけどね。

水臭いというのか
何度も言われたら 面倒に感じてしまって。

実際に義母はトイレも自分で出来るんだし
2週間ベッドに寝たきりの所為で脚の機能が衰えているのが
大変気になるだけですから
以前みたいに脚の浮腫みを和らげる為に足に触れているのではないのですけど。

脚の裏や指の股や土踏まず、
足首、かかと・・・。
使わなかった脚がちゃんと動いてくれますようにと
可動域が狭くなっていかないないようにと
そう願いながら毎日脚の曲げ伸ばしの手伝いに通っています。

入院されている今の間に
義母自身で出来る簡単なストレッチの方法を覚えてくださると
本当に良いのですが。
ストレッチのおかげでたとえ長時間歩いても
わたしは筋肉痛もこむらがえりも殆どおこしません。
膝にかかる体重から時折膝を解放してあげるだけで
身体は喜びます。

退院の日が目前に迫っている今、
義母には切実に感じていただきたい事柄です。

言葉で「大変ですね」は簡単なことです。
痛いのは本人にしか判りません、
脚のリハビリでわたし何度も泣いたから
知っています。

人の世話に甘んじたら 人生の後半は車椅子が待っています。
機能低下は瞬く間です。
因みにseineはまだ以前のようには歩けません。
一発芸並みだった正坐も
座っていられる時間こそ長くなってきていますが
あとが物凄く手間かかるので
いまはまだ なるべくなら正坐はお断りしたいものです。
無理をした脚を宥めるのに撫でたり擦ったりと
とても時間がかかるのです。

人の手を借りると時間の短縮や身体の負担が少なくて済みます、
しかし
負荷をかけないと筋肉も骨も強くなりません。
筋肉は100歳からでも鍛えられるといいますもんね!

seineはこの身体にあと60年お世話になる予定です。
心身ともに
元気で居なくてはと思います。

お母さんにちゃんと伝えられると良いのですが。
大事なコトだから。

2009年11月22日日曜日

琴線

餃子の王将にはよく夕飯を食べに行きます。
あの日は混んでいたのでカウンター席を選びました。

調理場が目の前なので作業工程がよく見えるのでした。
鍋を叩く音や油の撥ねる音、食器のぶつかる音や水の音、
オーダーを通すマイクの声、お客さんが店員さんを呼ぶ声 等々。
そして様々な匂い。

喧噪の中でわたしは
調理されてる方の動きから目を離せなくて
手元の大盛りのご飯はなかなか減りませんでした。
みな、自分の分担をこなしその作業に没頭しているかに見えながら
他の皆が何に携わっているか、誰の手が足りないか等を把握していらっしゃるようで。
なんだか 総natural high な印象を受けました。

それはいきなりでした。
ほんの束の間、
音が消えて皆さんの動きがスローモーションで見えました。
ふいに調理場を静けさが襲ったのです。
僅かな時間だったと思います。

わたしは
感情の波が押し寄せてきて箸を手にしたまま
泣いてしまいました。
皆さんが持ち場の仕事を全うして
わたしたちの許に届く食事。
残したら罰が当たると思いました。
気持ちを一緒に戴こうと思いました。

・・・感謝です。
もう一度手をあわせて 戴きますm( )mと申しました。

食事を饗する側、される側。
どちらも互いがあってこそ。

ありがたいですね^^

カウンターの隣の席のおじさまはわたしと同じものを
御注文でしたが
おじさまのあとに届いたseineの大盛りご飯を凝視されていました ^^;
お会計に立たれたそのおじさんは
ご飯を半分ほども残されていました。
わたしの食べっぷりに食欲失せたとか (ーー;)
ま、まさかね・・・。

帰宅したら
食後の珈琲もお腹がいっぱいで
欲しくありませんでした。

いつもの BF-1 http://bf-1.jp/html/point.html
を飲んでおきました♪
よしよし、これで明日も元気だぁっ^^!

2009年11月18日水曜日

20年来の付き合い

ミノルタα8700i。
永い間のわたしの一眼レフの愛機でした。
大好きな雨もへっちゃらの心強い味方でしたのに。
ついに作動不良となってしまいました。
吉野山に撮影に出掛け、機材を収納する折に三脚ごと
コンクリートに崩れ落ちてしまい
装着の広角レンズは動きを止めてしましました。
ボデイ裏側の上部、パネルが破損し
内部の部品が露わです。

ひゃあぁぁぁ・・・ (*_*;

広角レンズを望遠レンズに取り換えて試してみたら
ピントもズームも一先ず作動しますが
内部のデータ表示が訳の判らないモノになっています。
大変ですっ!

永代貸出の有難い広角レンズでしたので
兎に角早いうちにお詫びに伺わねばと思っています。

あああぁ、どうしよう・・・。

メイン機ペンタックス645Nで
サブ機にゼンザブロニカ6×6というのもなぁ。

かといってSONYデジカメのR‐1 は・・・。
凄く使いやすいからとても重宝なんですが
作品は銀塩カメラで撮りたいと思いますね!

わたしはまだ、フィルムとデジタルは同じ土俵には立てないと
思っています。


昨日のカメラ破損からまだ痛手を引きずっているseineです。

2009年11月15日日曜日

04時に待ち合わせ @@;

行って来ました!
大好きな雨の日の撮影^^

選んだのはこちらも大好きな榛原の鳥見山公園。
ネットの情報では<見頃>とありましたが
最近の画像をどなたもUPされておらずWEBで見当たらなかった為に少々迷いました。
雨に助けられるだろうと今回は鳥見山に決めました。
迷ったもうひとつの候補地、談山神社は次の機会ということで。

現地のほん手前で余りの雨脚の強さに
様子見の休憩のつもりがいつしか寝入ってしまっていました ーー;
眼を覚ましたら雨は続いていましたが空は明るく
慌てて現地へ。

だぁ~れも居なくて
霧が漂う静かな朝でした。
勾玉池の向こうに紅色が靄っています。
えへへ ♪
ありがとうございます。今年もまた伺いました(^o^)丿 と挨拶をして
撮影を始めました。
時間があっという間に過ぎてって
もう正午。
帰らなくては・・・><;

公園の手入れなさってるおじさまが
「来週はもっとアカいのが増えて一面綺麗になるよ、
またおいで^^」 と声を掛けて下さいました。

seineがここに通いだして数年になります。
春は新緑と桜が美しく
5月はつつじと霧の饗宴が素晴らしく
初夏からはとりどりの深緑が見事な公園なのです。
秋はそれはそれは赤にくれないに朱色にと 辺り一面を
染める絨毯にすっかり虜になってしまいます。

青葉のもみじの樹がまだ沢山ございましたし
ドウダンつつじも葉の紅葉している樹はまだ数えられる程しか
ございませんでした。
霧がありましたし夢中で撮影してきましたが
あともう2回は訪ねたいものです。
今回の撮影分で <まどろみから覚める頃> というタイトルを
つけた画像があります。
私のお気に入りの一枚なんですが
一緒に訪れた人に見せたら「・・・ふ~ん」ですって。
ま、感性って様々ですから^^

立ち位置によって赤の発色に違いが出ますし
太陽の陰り方でも印象が違ってきますね。

近景に青いもみじの大樹、中景に紅葉が7割位進んだつつじの樹、
遠景に落葉の真っ赤なもみじを配したものも
お気に入りです。
さて、フイルム現像が楽しみです。

<最近のその他> 
https://sites.google.com/site/zokukotodamanikki/satsuei-memo
に貼り付けてあるものは定番のポイントからですが
まさに真っ盛りだったと思います。

鳥見山公園、これからのお薦め撮影ポイントです。

2009年11月13日金曜日

迷うなぁ・・・ ^^;

明日は雨の予報。
さあ、どこの紅葉狩に行こう ^ ^*
 
今夜はふたりの誕生日祝いで家族で食事に行きました。
末妹とわたしのバースデイです。
美味しい食事と家族の笑顔。
かけがえのない者。
幸せな刻。

ふとしたことから
纒向遺跡の話となり
はじめ人間ギャートルズの記憶や
埴輪や土偶や
世界の七不思議へと
話は漂っていき・・・。

邪馬台国は大和に在ったのかも、と
seineは思っています。
箸墓は<伝:卑弥呼のお墓>だときいていました。
佐賀の吉野ケ里遺跡の発掘の際は大騒ぎでしたよね。
近畿も九州も
なにやら胡乱な話ですが
邪馬台国がどこに在ったか! が
人の懐具合に大いに関わるそうです。
纒向遺跡、是非観に行きたいものです。

ロマンはどこにあるのでしょう。
先日は水銀朱の石室を観てきました。
今日は漆の朱を観ました ^^!
わたしは死んで何をこの世に残すのでしょう・・・。

トラは死んで皮を残すといいますが、あなたは何を残しますか?
子供という血筋ですか?
家名ですか、会社ですか?

2000年も3000年も時を経て
例えば自分の骨が太陽の下に曝されるとは思いもよらないコト
なんじゃないかと。
再生の願いの籠ったミイラや信仰の対象としてなら
本人も解っての上なので
構わないと思うのですけど。
そういう意味では ここ日本が火葬の国でよかったなぁ・・・! と
seineは思っています。

子供が欲しいと真剣に考えたことはありません。
自分を発祥とする係累は無くて良い、今でもその基本姿勢は変わりません。
ただ・・・
孫は欲しいです ^^;
って
子供をすっとばして孫なんて無理なハナシなんですけどね。

明日は大好きな雨 ♫
さあ、どこに行こうかな^^

2009年11月11日水曜日

ドトール・ピント・フェライス通り

義母の病室に寄った帰り
いつも気になっていた院内のコーヒーショップに
ついに立ち寄りました ^^♪
だってね、
病院の出入口付近からは
いつだって珈琲の好い香りが漂っており
鼻をくすぐるんですもん。
県立医科大学の建物とコーヒーショップ、
そして中の椅子に腰かけているのは時にはパジャマ姿の入院患者、という
なんだか見慣れない光景を珍しく感じていました。
今日はマイペットボトルを持参しなかったこともあり
珈琲のにおいに惹かれて
ついに寄ってみた次第です。

<$BlogItemTitle$>ドトールコーヒー。
初めてのアイス豆乳ラテは少し苦くてシロップを足して戴きました。
めっちゃ満足な気分で病院を後にしました。

寛ぎの空間は貴重ですね、
病院は様々なモノが一杯です。
希望もあれば絶望もあるかも知れません。
よろこびもかなしみもあるでしょう。
だから、こんな場所は必要なんですよね^^
例えば、自分を病室(病気)から切り離せるような。

コーヒーショップで小冊子を目にし
中の創業者の鳥羽博道氏の「幸福創造業」に
とても共感しました。
こんな記事 ↓ がありましたのでご覧いただけたらと思います。
http://news.finance.yahoo.co.jp/detail/20090728-00000001-president-column

いつか御縁をと思います。
わたしの夢が具体的になってきた気がしました。

義母は
重湯からですが食事もOKになりました。

今日も幸せなseineです。
皆様にも幸福がございますように ^^!

2009年11月9日月曜日

物思う夕暮れ・・・

夕暮れ時の散策。
落ち葉を踏みしめて歩くときのあの感触と
足もとの葉の音が心地いいです。
葉の色でなら桜が好き。
モミジより一足早くに色付いて
山裾や路をグラデーション豊かに染めてくれるから。
地道でない舗装された処を散策ならば
葉の吹き寄せられた端っこを歩く♪
秋の気配を楽しむ時間はやっぱり夕暮れが良いな ^^
そろそろ肌寒くて、人恋しくて。
なんか訳もなく切なかったりして。

義母が入院したのは
わたしの誕生日の夜でした・・・。

開けられない眼でこちらを向いて
管がある為開けっ放しの口を動かして
多分、「悪いなぁ、悪いなぁ」と唇を動かしますので
判っていますから、と言ってわたしが手を握ったら
うん、うん、と義母が頷くのです。
息子である夫は堪え切れなくてポロリと
涙を落してしまいました。
それが昨日。
義母は今日やっと人工呼吸器の管が喉から
外されました。

お帰りなさい^^ お義母さん
って心の中で云いました。
心臓の悪い義父を残していかれたらどうしよう(-"-)
と本当に心配しました。
兎も角、ひと安心です。

静かな夕暮れは季節を問わず
好いものですね。
ひたすらにこころを開放してあげられます。
妹に「帰ってこぉ~い ^^/」と云われる時もあるほど
精神をほどきます。
どんな気の抜けた顔をしているのでしょうね @@;

人よりは上手く切り替えをしていると本人は
思っています。
1日のうち10分でも自分の時間を持ちなさい、
とはよく聞きますね。
そんな時間、seineはもうちっとあると思います。

義母は脚が悪いのです。
リハビリを受けていましたが痛いので
やがて通わなくなりました。
今のうちに可動域を広げておかないと
来る老後に待っているのは
車椅子生活なのです。

seineは高原骨折で2箇月余り入院し
車椅子生活も経験しました。
実家を改築の際みんなの意見で将来の介護生活を踏まえて
段差のないバリアフリー設計としました。
車椅子もOKな筈でした。
なのに、
車椅子で部屋間の移動に支障あったのには
驚きました。
ドアが若干狭いのです。
トイレも浴室もダメでした。

義父も義母も車椅子生活は本人にも家族にもかなり
難儀を強いるという点を
解っていただいた上でこれからを過ごしていただきたいと
切に思う訳です。
その場で足踏みを繰り返すだけでも
筋肉の運動になるのです。
それすら脚が挙がらないからと義母はしませんでした。
故、この入院が終わる頃が
わたしはコワイ。

毎日、義母の脚のマッサージに精を出していますが
大部屋に移ってのち
さあどう言って義母に自分から歩いてもらおうかと
思案中。
どうにも遠慮があるから
もどかしい。
自分の親ならもっと厳しく対するのだが。

この時期の夕暮れは早い。
あっという間にまっ黒け。

皆様、お身体冷やされませぬ様。
seineは囲炉裏を探しています。
夢を叶える為のアイテムのひとつです。

明日が幸せでありますように!
<$BlogItemTitle$>