2009年12月15日火曜日

懐かしい人

時間が逆巻いてゆくのを感じました。
小学校の最後にお世話になった先生が
「酷い仕打ちをしたこともあったでしょうね、ごめんなさいね」と
頭を下げているなんて。
先生はこうも仰いました、「あの頃が一番わたしの幸せな頃でした」とも。
約30年前と今とでは
教育も、親も、子供も、家庭も、
みな在り方が変わってきているそうです。
あの時代は今も教育者の中では語り草なのだそうです。

曲目はふたつ。
ひとりぼっちの羊飼い と 昴。
毎日、毎日みぃんなで練習しました。
パート別に分かれては音を確認し合い
発声を繰り返し
腹式の練習、口の開け方や笑顔や
身体の揺らす方向や、立ち位置や。

音痴のわたしは音楽は大好きでしたが歌うのはホント苦手でした。
ソロで歌う男の子の高い綺麗な声をいつも羨ましいなと
感じていました。

発表の当日の記憶といえば
2曲が終わって盛大な拍手を受けたことと
先生のとても満足そうな笑顔と
「最高の出来栄えでした」という言葉だけです。
結果発表をわたしは覚えていません。

<$BlogItemTitle$>小学生時代、わたしはいい子ではありませんでした。
放課後の学校の教室を片っ端から黒板に色チョークで
花を描いて回ったり
授業をすっぽかしてかくれんぼしていたり
嫌いな給食のパンを変なトコに隠して見付かって叱られたり。
樹に登って叱られたり。
大喧嘩して人に噛みついた時はどえりゃあ <(`^´)> <`ヘ´> 叱られました。
多分、あの子の肩には歯形が残っていると思います・・・@@;

毎日、帰宅するのは日暮れでした。
濃い茶色だった制服のスカートは日々の洗濯に色が薄くなってしまい
生地も薄くなってしまい
妹にはあげられませんでした。
上級生や下級生ではなく同級生とばかり
遊んでいました。
一番よく遊んだ時期ですね。
川遊びも泥遊びも、ボール遊びもしました。
近くに駄菓子屋さんがなかったから
大人には内緒で
隣町まで自転車で100円玉を握りしめては
買いに行きました。

同級生の家には大概内職中のお母さんが居ました、
おじいさんやおばあさんは畑仕事でしたし
下校時間を過ぎて校庭で遊んでいても
追い出される日は年間にそうなかったように思います。

町は今より安全だったのでしょうか?

学校の前に交番があってお巡りさんとはよく話をしていた記憶があります。
時折、(怪しげな)教材を売りに来る業者が居て
面白いから被り付きで眺めては
見事に洗脳され 親に購入をねだりました。

郵便局の裏の空き地に秘密基地を造ったのも
この頃ですね。
穴を掘って家の傘のありったけで屋根を拵えて
雨が降ったらさす傘が無いと苦情がでましたが
子供の事です、懲りやしません。

段ボールでも造ったと思いますが
あまり記憶にありませんね。
昔から器用ではありませんでしたから
加工の要らない傘が便利だったのでしょう。

在校中は一杯叱られましたが
一度だけ、
それはそれはひどく叱られてずっと泣き続けていた覚えがあります。
理由も、わたしたちを怒っていた先生も忘れましたが。

小学生・中学生・高校生と其々に多感な時期と思います。
勿論、幼稚園も保育園も人格形成や性格形成への影響は大きいと思います。

学園モノのドラマって
定期的に流行るじゃないですか。

金八先生の時は中学生でしたので
まさにリアルタイムなドラマだった訳です。
15歳で妊娠・・・そういう欲望も芽生える頃??!!
情報も氾濫してますし
どれが正しいかなんて判断は体験しないと判んないでしょう?

まあ色んなモノが溢れてくる時期なんでしょうかね。

自分を受け入れてくれるというのか
自分を支えてくれるというのか
そんな人が必要な時だと思うのです。
人をどうにかしてあげられる余裕はないような気がします。

この続きはまた。